Església i Palau del Temple, バレンシア旧市街にある新古典主義の教会と宮殿
神殿教会と宮殿は、モンテサ騎士団のためにプラサ・デル・テンプレに建てられた修道院・学院・教会の複合施設です。修道院のファサードは簡素で、主階の窓の上に三角形のペディメントがあるものの柱やピラスターはなく、中庭は下層が石のアーケード、上二層がバルコニーになっています。西側の教会は三身廊で側祭室と交差部のドームを持ち、二つの塔が大きな三角形のペディメントを挟んでいます。
モンテサ騎士団は1748年の地震でモンテサ城の母院を失い、カルロス3世は1238年にハイメ1世が征服の旗を掲げたテンプル騎士団の要塞跡に新たな複合施設を命じた。工事は1761年6月6日にマドリードの建築家ミゲル・フェルナンデスの設計で始まり、バレンシアの棟梁ビセント・ガスコー、アントニオ・ガルシア、ディエゴ・クビージャスが施工した。修道院は1766年に完成し、教会は1770年に祝別され、聖体礼拝堂は1785年に完成した。
「エル・テンプレ」の名はテンプル騎士団に由来する。1238年11月19日の王の特権により、ジャウマ1世からアリ・ブファトの塔と要塞を授かり、そこに征服の旗が掲げられた。そのバレンシアの財産は公正王ジャウマの時代にモンテサ騎士団へ移り、教会側面の記念プレートがそれを伝える。1917年以降は贖罪会士が教会を担い、モンテサ騎士団の折々の使用のために礼拝に戻された。
この建物は旧市街のプラサ・デル・テンプル2にあり、他の史跡にも近いため、徒歩で複数の場所を巡るのに便利です。現在は政府の事務所として使われているため、すべてのエリアが常に一般公開されているわけではない点に注意してください。
この地にはローマのカストルムがあり、後にムスリムのバブ・イブン・サハル門とアリ・ブファトの塔が建った。Jaume I世によるバレンシア征服後、1238年11月19日の王の特権で要塞と塔がテンプル騎士団に与えられ、ここでPenó de la Conquestaが掲げられた。教会側面の記念板がこれを伝える。