Burg Kreuzberg, ドイツ、ラインラント=プファルツ州の城
クロイツベルク城は、アルテンアールのクロイツベルク地区を見下ろす小さな三角形の岩台地に建つ高所城塞です。中核部は環状の城壁に囲まれ、北側には切石積みのバロック様式2階建て住居棟、東側には白漆喰の円形主塔があり、その鈍い円錐屋根の頂には1781年の年号が入った風見が付いています。主城の西側には後期バロック様式の礼拝堂と18世紀の経済棟が並びます。
クロイツベルクは893年に『プリュム修道院土地台帳』にCrucebergとして初めて記録された。1100年頃、集落はアーレ伯の手に渡り、伯は管理者用の最初の住居を建てさせた。ケルン大司教コンラート・フォン・アーレ=ホーホシュターデンはクーノ・フォン・フィシェニヒにクロイツベルクを封じ、城の建設を許可した。クーノと妻グーダは1343年4月に城をケルン大司教領に封土として差し出した。1686年にフランス軍が城を破壊し、住居棟は1760年に再建された。
城の礼拝堂は聖アントニウスに捧げられ、一般公開されている唯一の部分です。後期バロック様式の内部は木製の筒天井で覆われ、西側のギャラリーには1783年の年号が入ったフォン・デア・ハイデン家(ベルダーブッシュ家)の紋章があります。クロイツベルクの名は、893年にプリュム修道院の財産台帳に初めて記された「クルーセベルク」に由来します。
ブルク・クロイツベルクは私有地であり、城の礼拝堂を除いて一般公開されていません。聖アントニウスに捧げられた礼拝堂が、訪問者が入れる唯一の部分です。アルテナールのクロイツベルク地区の上に位置し、礼拝堂へのアクセスは事前に調整する必要があります。
東側の白く漆喰塗りの天守塔は内側の環状壁から約半分突き出ており、鈍い円錐形の屋根には1781年の年号が記された風見が載っています。美術史の文献では15世紀の建造とされることが多いものの、14世紀の最も古い部分である可能性もあります。この塔は中庭への入口門を守っていました。