Rača monastery, セルビア正教会の修道院で、セルビアのバイイナ・バシュタ市にあります。
ラチャ修道院はラチャ川右岸、タラ山の麓にあるセルビア正教会の修道院です。粗い灰褐色の石造りの教会は、狭いアーチ窓のある高い八角形の鼓胴の上に中央のドームを載せ、丸アーチ窓と、正面左側に突き出た低い礼拝堂を暗い金属屋根の下に備えています。1849年に建てられた別棟の四角い石造りの鐘楼が数メートル北にあります。
ラチャ修道院はステファン・ドラグティン(1276–1282年)によって創建され、1459年のオスマン征服後、1690年の大移動後、そして1813年の第一次セルビア蜂起の崩壊後に焼失し、その際2人の修道士が殺された。ハジ・メレンティエ・ステヴァノヴィッチはスルタンの勅令を得て1795年8月22日から1796年7月22日にかけて教会を再建し、1816年から1835年にかけて第二の再建が行われた。
ラチャ学派は16世紀から18世紀にかけて栄え、キプリヤン、エロテイ、チルヤク、シメオン、テオドル、ガヴリロ・ステファノヴィチ・ヴェンツロヴィチらの写字生を輩出した。オスマン帝国の旅行家エヴリヤ・チェレビは1630年、ここで300人の修道士写字生が働き、400人の羊飼いや職人が仕え、200人の武装した男たちが警護していたと記している。
修道院はバイイナ・バシュタから約6km、ラチャ川の右岸、ドリナ川との合流点近く、タラ山の麓にあります。敷地へは舗装された小道を歩いて入り、教会と離れて建つ鐘楼へ向かいます。教会は長さ約23m、高さ11mあるので、周囲や隣接する建物を見る時間をとるとよいでしょう。
オスマン帝国の旅行家エヴリヤ・チェレビは1630年の紀行で、ラチャには写字僧が300人おり、羊飼いや鍛冶師など400人が仕え、武装した200人の警護隊がいたと記した。修道院の写字室であるラチャ学派は16世紀から18世紀にかけて活動し、典礼書だけでなく科学書や文学作品の写本も作られた。