Piarist College and Gymnasium, チェコ共和国、プラハ1、新市街にある学校の建物
ピアリスト会の学院とギムナジウムは、ナ・プシーコピェ通り北側に建つ2棟の建物からなる。聖十字架教会の背後にあるロココ様式の学院は1760~1765年に建てられ、ヨーゼフ・ハーガーの壁画とフェリックス・イヴォ・ライヒャーの祭壇画がある礼拝堂、図書館、食堂を備える。教会に隣接するギムナジウムの建物は1810~1820年にヨーゼフ・ゾーベルの設計で建てられた。
ピアリスト会は1752年にプラハに来てチェコ管区を設立し、1758年以降にナ・プシーコピェの建物を取得した。1777年、ゲラシウス・ドプナーは旧イエズス会ギムナジウムを手に入れ、1778年にプラハで3番目のギムナジウムとして開校した。修道院は1760〜1765年、ギムナジウムは1810〜1820年に建てられ、1875年にギムナジウムは国家管理に移された。
授業は公式にはドイツ語で行われたが、1860年代から下級クラスにはチェコ語の分離部門が設けられた。生徒の約4分の1から3分の1はチェコ人で、ドイツ語を話す生徒の大半はユダヤ系家庭の出身だった。1875年まで、ユダヤ教の宗教教師と補助教員を除き、教師はほぼ全員がピアリスト会の修道士だった。
旧コレッジョとギムナジウムの建物は、プラハ新市街のナ・プシーコピェ北側とパンスカー通りにあります。現在はフランチシェク・クジージーク技術学校が使用し、1階には店舗が入るため、内部は博物館のようには公開されていません。通りからロココ様式のコレッジョ正面と19世紀初頭のギムナジウム棟が見えます。
食堂、図書室、礼拝堂にはヨーゼフ・ハーガーの壁画が残り、礼拝堂の祭壇画はフェリックス・イーヴォ・ライヒャーが描いた。1923年、ピアリスト会は学院をチェコの印刷会社に売却し、同社は礼拝堂を1階分増築して下層を通りに面した店舗とした。