Liechtenstein family vault, チェコ共和国モラフスキー・クルムロフの諸聖人教会脇にある一族の墓所
リヒテンシュタイン家の墓堂は、モラフスキー・クルムロフの諸聖人教会の北西に建つ1789年の新古典主義建築で、教会の内部ではない。方形の上部礼拝堂は隅に隅石風の目地、低い三角破風、砂岩の縁取りをもつ半円アーチ窓二つを備える。下の地下墓室へは鋳鉄の板と階段で降り、錫と銅の棺が二列に並ぶ。
モラフスキー・クルムロフは1625年、グンダカル・フォン・リヒテンシュタインが帝国宮廷から領地を購入したことでリヒテンシュタイン家のものとなった。1750年、エマヌエル・フォン・リヒテンシュタインが兄で統治公のヨーゼフ・ヴェンツェルから受け取り、カール系の分家の世襲財産となった。1789年に元帥カール・ボロメウス・フォン・リヒテンシュタインが死去すると、妻マリー・エレオノーレ・フォン・エッティンゲン=シュピールベルクが建築家ヨハン・ヘンリッツィにこの墓所を建てさせた。埋葬は1789年から1908年まで行われ、最後はカール系の男系を絶やしたルドルフ・フォン・リヒテンシュタインであった。
この墓堂は1789年、マリー・エレオノーレ・フォン・エッティンゲン=シュピールベルク公爵夫人が夫カール・フォン・リヒテンシュタインのために建てたもので、入口上のラテン語碑文がそれを伝えている。正面にはドイツ語の銘「HERR SEI UNS NICHT RICHTER, SONDER ERLÖSER」が刻まれ、入口の両側にリヒテンシュタイン家とエッティンゲン家の浮き彫りの紋章が置かれている。
納骨堂は諸聖人教会の北西にあり、石の球を載せた門のある柵で教会前庭と区切られています。東側は教区墓地です。建物はモラフスキー・クルムロフのローマ・カトリック教区の所有なので、礼拝堂と地下の墓室への立ち入りは事前に教区へ相談してください。
この墓所は諸聖人教会の北西に位置し、教会墓地とは球を頂いた二本の柱の門がある柵で隔てられています。入口は鍛鉄の格子で守られ、正面にはドイツ語の銘文「HERR SEI UNS NICHT RICHTER, SONDER ERLÖSER」が刻まれています。