Clock Tower, チリ、タラパカ州イキケにある時計塔
アルトゥーロ・プラット広場の時計塔には、4つの文字盤があり、15分ごとに小さな鐘、毎正時に大きな鐘で知らせます。構造はオレゴンパイン材で、時計機構はイギリス製が組み込まれています。
この塔は、1873年の火災で失われた教会の時計を置き換えるため、1877年12月14日に市長ベニグノ・ポサダと市議会の承認を得て建設が決まった。4つの文字盤を持つイギリス製時計は1878年12月10日に蒸気船イビス号で到着し、マヌエル・エドゥアルド・ラペイルーズに帰されるオレゴンパイン材の塔は1879年1月までに動いていた。1880年10月にはイキケ中心部の大半を焼いた火災を生き延び、1889年にはラモン・ヤバル市長の命令でピサグア大隊の一隊が現在地へ移設した。
塔の名は、1878年12月に蒸気船イビス号で英国から届いた四面時計に由来します。尖頭アーチ、鋸歯状アーチ、多葉アーチを組み合わせた折衷様式で、ムデハル芸術を思わせます。パトリシオ・アドビスが硝石時代を代表する建造物群と評したアルトゥーロ・プラット広場の建物の一つです。
塔はアルトゥーロ・プラット広場の中央にあり、公共広場から簡単に見つけて眺めることができます。訪問者は一年中いつでも塔を観察したり写真を撮ったりできます。塔は開かれており、アクセス可能です。
塔は当初、広場の中央から外れた位置に立っていました。1889年、ピサグア大隊の一隊がラモン・ヤバール長官の命令で木造の塔を現在の位置に移しました。塔は1880年10月にイキケ中心部の大半を焼いた火災を生き延び、その後、焼失した街区に広場が拡張されました。