Transfiguration Monastery, ブルガリア、ヴェリコ・タルノヴォの正教会修道院
変容修道院はヤントラ川のデルヴェント峡谷、ヴェリコ・タルノヴォの北7km、サモヴォデネ村近くに位置する。建物群は細長い長方形の中庭を囲み、下層は石造り、上層は傾斜地に合わせて造られている。時計と尖った屋根を備えた四角い石造の鐘楼が主教会堂のそばに立ち、その外壁にはザハリ・ゾグラフのフレスコ画が描かれている。
11世紀にアトス山のヴァトペディ修道院の付属修道院として創建され、1360年にイヴァン・アレクサンダル皇帝の下で自立した。これは皇后サラ・テオドラと息子イヴァン・シシュマンの寄進によるものとされる。オスマン征服後、幾度も略奪と放火を受け、やがて完全に破壊された。リラ修道院のゾティク神父が1825年に再建し、1832年のスルタンの勅令でコリョ・フィチェト設計の新しい教会が許可され、1834年に完成した。1858年から1863年にかけてフィチェトは七つの鐘を持つ鐘楼、居住棟、正面入口を加えた。
この修道院は、皇帝イヴァン・アレクサンダルの妻サラ・テオドラとその子イヴァン・シシュマンが資金を出したことから、サリン修道院またはシシュマン修道院とも呼ばれる。教会には1849〜1851年にザハリ・ゾグラフが描いたフレスコ画のなかに彼の自画像があり、外側南の祭壇壁には「生命の輪」が描かれている。1838年にニコラ・フィチェフとスタニョ・マランゴジナが彫ったイコノスタシスには、ゾグラフとスタニスラフ・ドスペフスキのイコンが据えられている。
修道院はヴェリコ・タルノヴォの北に位置し、ほとんどの日は一般に開放されていますが、時折宗教儀式が行われます。訪問者は控えめな服装を心がけ、修道士や参拝者がいる場合は敬意を払ってください。
1877年から1878年の戦争中、修道院は一時的に野戦病院として使用され、その後ブルガリア独立の際にロシア兵から寄付を受けました。この出来事は、この場所をブルガリア史の重要な瞬間と結びつけています。
