Amphitheatre of Bordeaux, フランス、ボルドーにあるローマの円形闘技場
ボルドーの円形闘技場、通称パレ・ガリアンは、灰色・ベージュ・茶色の小さな平たいレンガと石塊を積んだ多層のアーチからなるローマ時代の遺跡である。北西の入口が高く不揃いな壁として残り、周囲の街路にはアレナの楕円形の輪郭がなお読み取れる。
2010~2012年の発掘で出土した陶器から、1世紀末から2世紀前半に建てられたとされ、約2万2千人を収容した。275~276年のフランク人襲来時に火災があったとする伝承があるが、証拠はない。中世から採石場として使われ、1793年に区画ごとに売却された。
「パレ・ガリアン」の名が現れるのは1367年で、闘技場の建設から遠く後のことである。中世の伝承はこの遺跡をトレド王の娘でカール大帝の妻とされるガリエンヌに結びつけ、後に皇帝ガリエヌスに結びつける解釈も生まれた。それ以前は「レ・ザレーヌ」と呼ばれていた。17世紀初頭にはまだ2つの軸線上の入口とカヴェアの4分の1が残っていた。
遺跡へは、リュ・デュ・コリゼ通りまたはリュ・デュ・ドクトゥール・アルベール・バロー通りからアクセスでき、近くには複数のバス路線が停車します。遺跡の規模を実感するには、さまざまな角度から眺める時間を計画してください。
「パレ・ガリアン」という名が現れるのは1367年で、それ以前は「レ・ザレーヌ」と呼ばれていました。中世には、この遺跡をトレド王の娘でカール大帝の愛人だったガリエナの宮殿とする伝承があり、後に皇帝ガリエヌスの名が結びつけられました。
