Château de Rastignac, ラ・バシュルリーにある新古典主義のシャトー。
シャトー・ド・ラスティニャックはドルドーニュ県ラ・バシュルリーにある新古典主義のシャトーで、1811年から1817年にかけてマチュラン・サラ(通称ブランシャール)の設計で石灰岩を用いて建てられた。南面中央には1829年に加えられた半円形のイオニア式柱廊があり、左右には長方形の窓が並ぶ対称的な翼棟が伸びる。平らな屋根の縁にはバラストレードが巡り、淡い色の石造建築は樹木の茂る庭園に接している。
この建物は1811年から1817年にかけて建てられ、その後1944年にドイツ軍がリンで5日間放火し、壊滅的な被害を受けました。この攻撃で建物の大部分が破壊され、その後の歴史における転換点となりました。
シャトーの名はシャプ・ド・ラスティニャック家に由来し、1483年に記録された「Hospitium de Rastinhaco」は1572年、ペリグーの大審院でレーモン・シャプ・ド・ラスティニャックとその二人の兄弟が断罪された後に焼失した。現在の館はピエール・シャプ・ド・ラスティニャックのために着工され、1817年に娘ゼナイドが持参金としてフランソワ・マリー・ド・ラ・ロシュフコー、リアンクール公爵に嫁いだ。サラ・ベルナールの好敵手だった舞踏家クレオ・ド・メロードは、ローウィック家所有時代にここに滞在した。
現在、このシャトーは完全には一般公開されておらず、複数の住居に分割され、一部はアートジュエリーワークショップとして運営されています。外観の建築は周囲の敷地とアプローチエリアから眺めることができます。
1971年、アメリカ人のレスリー・E・アクセイが城の建設年と建築家を突き止めた者に1000フランを提供。ドルドーニュ県文書館の学芸員ノエル・ベッカールは、1811〜1817年の管理人による5冊の帳簿を調べ、1972年に賞を得て、建築家をマチュラン・サラ(通称ブランシャール)と特定した。