Capuchin Monastery in Olesko, ウクライナのオレスコにあるバロック様式の修道院
オレスコのカプチン修道院は、1737年からマルティン・ドブラフスキが建てた後期バロックの複合施設で、1739年に聖アントニオ・ディ・パドヴァに献堂された教会を中心とする。簡素なファサードには三角形のペディメントと平らなピラスターがあり、教会の南側には二階建ての煉瓦造の修道士居室棟が接し、一階の部屋は交差ヴォールトで覆われている。高さ3メートルまでの石垣が、五つの礼拝堂、聖人像、二つの池がある中庭を囲む。
18世紀の第2三分の一にセヴェリン・ユゼフ・ジェヴスキによって創設され、アンジェイ・シトロヴィエツキ(マルチン・ドブラフスキ)の指揮で建設され、教会は1739年に奉献された。1765年にカプチン会士は退去を命じられ、1785年には複合施設は軍病院となった。皇帝ヨーゼフ2世は1788年に修道会に返還し、修復のために12,000ライン・グルデンを与えた。1806年の火災でヴォールトが崩落し、2つの礼拝堂のうち1つが失われた。
修道院は創設者のセヴェリン・ユゼフ・ジェヴスキとアントニナ・ポトツカを記念して「聖ヨセフと聖アントニナ修道院」と名付けられ、若者向けの神学校も置かれた。1739年に聖別された教会はパドヴァの聖アントニオに捧げられ、カプチン会士は修道院建物内でホスピスも運営していた。
境内へは高さ3メートルほどの石塀の門から入り、隅櫓はない。教会の入口は西向きで、中庭を囲む2階建ての修道士居室棟は南側にある。旧修道院は現在美術館として使われ、建物の一部が見学できる。敷地には中庭や庭園の地面が含まれる。
1765年にカプチン会士が退去させられた後、修道院の図書館は跡形もなく消えた。蔵書は神学と薬用植物に関する薬学の二つのコレクションから成っていた。教会の地下墓所も死者を失い、遺体は発掘されてラテン教区教会の磔刑礼拝堂に移された。