Northern Catherine Canal, ロシア・コミ共和国カナバの放棄された運河
北エカテリーナ運河は、北ケルトマ川とジュリチ川の間のケルトマ低地を17.6キロにわたって走り、ヴィチェグダ川とカマ川の流域を結ぶ。両河川の上流が最も近づく地点で1785年から1822年にかけて掘削された。現在は川床が泥で埋まり、岸は崩れて白樺が茂り、所々では数メートル幅の溝に水がたまったように見える。
1785年にエカチェリーナ2世の下で建設が始まり、1822年に完成しました。1838年に公式に閉鎖されましたが、商人たちはその後も数十年にわたって使い続けました。
運河はエカチェリーナ2世にちなんで名づけられ、北端の村は今もロシア語で「溝」を意味するカナヴァと呼ばれている。地元の農民は製粉所の堰を設け、舟が堰を越えて運河を通れるだけの水をせき止めた。1915年には捕虜の労働で運河が浚渫された。
運河はケルトマ低地にあり、幅8〜14キロの湿地帯に囲まれているため、道路ではなく徒歩か舟で近づく。2007年にはペルミ地理クラブの会員が手漕ぎ舟で全区間を下り、チェーンソーと斧で丸太や枝を片づけた。川床は浅く、岸は崩落しており、北端にはカナヴァ村がある。
地元のコミ・ズィリャン商人たちは、公式の閉鎖からずっと後の20世紀に入っても、春夏の増水期にこの水路を使い続けました。この事実は、この水路が地域の交易ネットワークにとっていかに重要であり続けたかを示しています。