Borodino Museum, ロシア・モスクワ州にある軍事博物館兼史跡。
ボロジノ博物館は、淡い黄色の壁と緑の金属屋根をもつ平屋の建物を使い、入口のポーチは切妻の下の四本の白い柱に囲まれ、切妻には半円アーチの窓がある。柱の上にはキリル文字で「БОРОДИНСКИЙ МУЗЕЙ」と記されている。博物館保護区は1812年と1941年の戦いが行われたボロジノ野の110平方キロメートルにわたり、記念碑、スパソ・ボロジンスキー修道院、ラエフスキー砲台の跡を含む。
博物館は、1839年にラエフスキー砲台でアントニオ・アダミーニ設計の記念碑が聖別されたことに始まる。ニコライ1世の臨席のもと、15万人の兵士と200人の退役兵が参列し、碑の麓にはバグラチオンが埋葬された。近くの番小屋には退役兵が住み、来訪者名簿の記録や戦闘図・発掘品の展示を行った。ボロジノ村の邸宅は1812年の将軍肖像画と遺品展示を備えた小さな木造宮殿に改築され、博物館の中核となった。
博物館は、バグラチオン公の遺骸が埋葬されたラエフスキー砲台に1839年、アントニオ・アダミーニ設計の記念碑が建立・聖別されたことに始まる。近くの番小屋に住んだ退役兵が参拝者名簿をつけ、戦場の出土品を来訪者に見せた。1867年にはトルストイが『戦争と平和』の取材のため修道院の宿に滞在し、現在その宿には小説に関する展示がある。
敷地は広く、徒歩で回るのが最適です。できれば、各部隊がどこに配置されていたかを説明してくれるガイドツアーに参加しましょう。屋外で過ごす時間が長く、この地域の天候は変わりやすいので、歩きやすい靴が重要です。
博物館の起源はラエフスキー砲台の記念碑脇に建てられた兵士の番小屋で、勲令により退役兵が来訪者名簿をつけ、戦場での発見物を披露していた。1941年にはドイツ軍が博物館の建物を屠殺場に使い、撤退時に焼き払った。モスクワ、次いでアルマアタへ疎開した資料は、1944年10月15日に修復された建物へ戻された。