中国軍管区司令部跡, 広島市にある戦争遺構と防空壕
中国地方陸軍司令部防空室の遺構は、広島城の近くにある地下の鉄筋コンクリート製掩体壕です。この構造物には、第二次世界大戦時の軍用通信設備と防御施設の一部が残っています。
この施設はもともと軍事司令部として始まりましたが、1945年8月6日、14歳の岡ヨシエが軍用電話回線を通じて原爆投下の第一報を送ったことで、悲劇的な重要性を持つようになりました。この出来事により、広島の原爆史における重要な場所となりました。
戦時中、この施設内の通信設備は、比治山高等女学校の若い女性生徒たちによって操作されていました。彼女たちの関与は、教育や市民生活が戦時中の日本の軍事作戦とどのように結びついていたかを示しています。
この掩体壕へは、紙屋町東の路面電車の駅で降りて、そこから近くの広島城に向かって歩いて行くことができます。街中を少し歩くので、歩きやすい靴を履いてください。また、地下施設の見学が含まれます。
原爆の爆心地点からおよそ790メートルの場所に位置するこの掩体壕は、その時代の軍司令部施設として数少ない現存例のひとつです。その存続は、戦時中の作戦が制度的なレベルでどのように展開されたかを示す貴重な物的記録となっています。