ケーニヒザール修道院, チェコ共和国プラハ・ズブラスラフのシトー会修道院
ズブラスラフ修道院はラテン語でアウラ・レギアと呼ばれ、プラハのズブラスラフ地区でリパンスキー小川がヴルタヴァ川に注ぐ地点に位置する。18世紀にヨハン・ブラジウス・サンティニ=アイヒルとフランツ・マクシミリアン・カニェカによって改修された旧シトー会修道院は、1911~1925年にドゥシャン・ユルコヴィチの設計で三棟からなる城館に改造され、多数の彫像がある公園に囲まれている。
ヴァーツラフ2世は1292年、父の狩猟用邸の跡地に修道院を創設し、セドレツから来た12人のシトー会修道士を住まわせました。1297年に聖別された聖堂はプシェミスル家の墓所となり、ヴァーツラフ2世(1305年没)、娘エリシュカ(1330年没)、1326年にオロモウツから移されたヴァーツラフ3世が葬られました。1420年、ターボル派が修道院を焼き、王の遺骨を散らしました。
修道院付属の聖ヤコブ大聖堂には、ズブラスラフの聖母の板絵のほか、カレル・シュクレータやペトル・ブランドルの作品が収められています。また、最後のプシェミスル朝の王たちの遺骨も安置され、1991年6月23日の式典で移され、内陣の床下に埋葬されました。
修道院はズブラスラフのリパンスキー小川がヴルタヴァ川に注ぐ地点にあり、ベロウンカ川沿いではありません。バロック様式の聖ヤコブ大聖堂は定期礼拝の際に一般公開されます。敷地内には国立博物館図書館の書庫と閲覧室が設けられる予定です。
『ズブラスラフ年代記』はテューリンゲン出身のオットー修道院長が着手し、1316年から1338年まで院長を務めたペトル・ジタウスキーが1338年に完成させました。1253年以降の修道院、ボヘミア、神聖ローマ帝国の歴史を記しています。