Suada and Olga bridge, ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボを流れるミリャツカ川に架かる道路橋
スアダ・オルガ橋はミリャツカ川に平らなコンクリートの橋桁を架け、その全長にわたって垂直の支柱と水平の横材からなる金属製の欄干が続く。橋桁の下では厚いコンクリートの帯が水平に走り、水面から立ち上がる大きな長方形の橋脚に支えられており、その一つが右岸近くにはっきりと見える。コンクリートは明るい灰色で、下端と橋脚の基部には黒ずんだ染みがある。
もともとはチリシュハナ橋という名前でしたが、1999年にサラエボ包囲の開始時に亡くなった2人の犠牲者を称えて改名されました。この命名は、市の紛争と市民の苦難の始まりを刻んでいます。
橋の最も古い名であるチリシュハナは、右岸にあった小さな接着剤工場に由来する。地元では今もヴルバニャ橋と呼ばれ、1996年にスアダ・ディルベロヴィッチ橋、1999年にスアダとオルガ橋と改名された。1993年にはアドミラ・イスミッチとボシュコ・ブルキッチが橋上で射殺され、その物語は1994年のドキュメンタリー『サラエボのロミオとジュリエット』の題材になった。
橋はコンクリートの橋脚の上で通りをミリャツカ川に架け、橋面には金属製の手すりが続く。サラエボのツェンタル市街区、旧市街と新しい中心部の間でミリャツカ川が曲がるあたりに位置する。手すり沿いの歩道を歩いて渡る。橋面は屋根がなく、雨や雪をしのぐ場所はない。
1993年5月19日、ボシュニャク人のアドミラ・イスミッチとボスニア系セルビア人のボシュコ・ブルキッチが橋を渡ろうとして射殺された。カート・ショークの報道は1994年のドキュメンタリー『サラエボのロミオとジュリエット』のきっかけとなった。橋名はジル・ソビュールやサミー・チェンの曲名にも使われている。