Corigliano Calabro Castle, イタリア、コリリアーノ・ロッサーノの中世の城
コリリアーノ・カラブロ城は、淡い黄褐色の石壁が高い裾勾配の基壇から立ち上がる要塞である。長方形の主棟の上端には狭間胸壁が並び、右側には狭間胸壁の環と小さなアーチ窓を頂く円筒塔がそびえる。左側には小さな円形の隅櫓が張り出し、壁面には鎧戸の付いたものもある長方形の窓が列をなす。内部では、濃い青灰色の金属踏み板と鋲留めの外側帯をもつ螺旋階段が、彩色天井の開口部を抜けて上へと続く。
ロベルト・グイスカルドは1073年、1064年から1080年にかけてクラーティ渓谷に築かれた防衛線の一環として、ロッサーノ近くにこの要塞を建てさせました。1192年にはシチリア王タンクレーディがコリリアーノを封土としてルッジェーロ・サンセヴェリーノに与え、その一族は1616年まで領有しました。1339年から1361年まで伯爵だったロベルト・サンセヴェリーノは南側に領主の間を設け、1489年以降はカラブリア公アルフォンソが主塔、堀、跳ね橋を強化し、工事は1490年に完了しました。
城は長く「パラッツォ・サングロ」と呼ばれ、18世紀にコリリアーノ公が一族の名にちなんで改名した。現在は上階で絵画展や写真展、会議などの催しが開かれ、東洋大学の一部の講座も置かれている。
城はコゼンツァ県コリリアーノ=ロッサーノ市のコリリアーノ・カラブロにあります。上階は絵画や写真の企画展、会議などの会場になるため、催しの間は一部の部屋が閉鎖されることがあります。写真に写る螺旋階段は主棟内部の各階をつないでいます。
この城は18世紀まで長くパラッツォ・サングロと呼ばれ、コリリアーノ公爵家の手に渡ると家名にちなんで改名されました。1345年には後のナポリ王カルロ3世がここで生まれています。現在は東洋大学の一部の講座が建物を使用しています。