谷中霊園, 東京・谷中の公共墓地
谷中霊園は、石畳の道に沿って並ぶ7,000以上の墓と、敷地全体に伝統的な石の記念碑がある大きな墓地です。中央の桜並木道が敷地内の主要な動線となっています。
谷中霊園は1874年(明治7年)9月1日、明治政府が天王寺の寺域の一部を没収し、東京府管轄の公共墓地として開設した。神仏分離で神葬祭が増え、寺院所有の墓地では埋葬が難しくなったためである。1935年(昭和10年)に谷中霊園と改称された。法要ができない不便を解消するため、1893年(明治26年)に島津忠寛が発起人となり、隣接地に功徳林寺が建立された。
中央園路はかつて天王寺の参道で、入り口に並んだ茶屋にちなみ、墓地関係者は今も中央園路の花屋を「お茶屋」と呼ぶ。園内には約7,000基の墓があり、渋沢栄一、鳩山秀夫、横山大観、第27代横綱栃木山守也らが眠る。
霊園は日暮里駅から徒歩圏内にあり、電車で簡単にアクセスできます。石畳の道を歩くため、歩きやすい靴を履くことをおすすめします。自分のペースでゆっくりと探索できます。
敷地内には、1957年に焼失し、後に小説家にその出来事を題材にした作品を書かせた五重塔の跡があります。霊園は広大な敷地と訪問者の活動を管理するために独自の警察署を維持しています。