志方城, 日本の兵庫県にある城
志方城は播磨国印南郡(現在の兵庫県加古川市)にあった平城である。本丸跡は宝積山観音寺の境内、二の丸跡は加古川市立志方小学校、西の丸跡は旧志方町役場になっている。城郭の遺構は観音寺山門脇の高い石垣の前にわずかに残る内堀跡のみである。
明応元年(1492年)、櫛橋則伊が志方城を築き、以後4代にわたり櫛橋氏が城主を務めた。天正6年(1578年)、4代城主櫛橋政伊は三木城主別所長治に呼応して羽柴秀吉に反旗を翻したが、城兵はわずか1,000余で半数以上が赤痢に倒れ、8月10日に降伏した。妹婿の黒田孝高の助言もあり、のちに櫛橋一族の多くは黒田家臣となった。
城の名は今も地元で使われている。本丸跡は、城主の墓碑を守るため天正15年(1587年)に宝岩宗珍和尚が建立した宝積山観音寺の境内となり、二の丸跡は加古川市立志方小学校、西の丸跡は旧志方町役場であった。降伏後、櫛橋一族の多くは黒田家臣となった。
本丸跡は現在、宝積山観音寺の境内、二の丸跡は加古川市立志方小学校、西の丸跡は旧志方町役場になっている。城郭の遺構は観音寺山門脇の高い石垣の前にわずかに残る内堀跡のみ。JR宝殿駅北口から神姫バス西牧行きで約10分、志方西口下車、バス停から北東へ約350メートル。
志方城は丘の中腹ではなく平城でした。本丸跡は現在、宝積山観音寺の境内、二の丸跡は加古川市立志方小学校、西の丸跡は旧志方町役場になっています。城郭の遺構は観音寺山門脇の高い石垣の前にわずかに残る内堀跡だけです。