此隅山城, 豊岡市にある山城。
この城は、標高約140メートルの独立した峰に築かれた山城で、堀や土塁、石垣などの防御設備を備えています。その配置から、守る側が地形をどう生かして防御を固めていたのかがわかります。
この城は1382年に山名時義によって築かれ、山名氏の軍事的拠点として重要な役割を果たしました。1569年、羽柴秀吉の軍に攻め落とされました。
この遺跡は、この地域で中世の武士がどのように拠点を整えていたかを示しています。その配置からは、防衛と支配の実際的な必要性が見て取れます。これらの遺跡がまとめて認識されているのは、この地域の歴史において互いに関連し合い重要な存在であったことを示しています。
最寄りのバス停から徒歩で約30分、急な坂道を登ります。道には標識やロープが設置されており、険しい地形でも安心して歩けます。
この城は応仁の乱の際に集結地点となり、山名氏の多方面の領地から数千の騎馬武者が集まり、次の戦いへと進みました。これは、その紛争において一族がこの場所に置いていた戦略的な重要性を示しています。