Madonna of Mercy and Lamentation, イタリア、フィレンツェのフレスコ画
ヴェスプッチ礼拝堂はオニッサンティ教会身廊の右側二番目の壁龕にあり、若きドメニコ・ギルランダイオによる二つのフレスコ画を収める。下段は「哀悼」で、城壁に囲まれた町とゴルゴタの丘を背景に、聖母と金髪のマグダラのマリアがキリストの遺体を支える。上段は「慈悲の聖母」で、二人の天使が支える広いマントの下にヴェスプッチ家の人々が跪き、聖母の足元の段には「MISERICORDIA DOMINI PLENA EST TERRA」と記されている。
メディチ家と結んだ銀行家のヴェスプッチ家は、1474年から1479年にかけてオニッサンティ教会に一族の葬儀礼拝堂を造らせた。サン・ルカ同信会に加わったばかりの若きドメニコ・ギルランダイオが、1476〜77年頃にフレスコ画を描いた。1878年、白塗りの層の下からフレスコ画が再発見されたが、その層は縁部に大きな損傷を与えていた。
マリアの足元のラテン語碑文は「MISERICORDIA DOMINI PLENA EST TERRA」、すなわち「地は主の慈しみに満ちている」と記す。マントの下に跪く人物はヴェスプッチ家の一族で、右が女性、左が男性、赤衣の老セル・アメリゴ(1472年没)も含まれる。ヴァザーリはマリアの左の若者を航海者アメリゴ・ヴェスプッチと同定した。
礼拝堂はオニッサンティ教会身廊の右壁、入口に近い2番目の壁龕にあり、身廊を歩いて見学する。フレスコ画は1878年に石灰の塗り層の下から再発見された。縁が損傷しているため、中央の画面は壁龕の正面から見るのがよい。
この構図にはヴェスプッチ家のメンバーの肖像が含まれており、ギルランダイオが宗教的な場面に生きた人々の似顔絵をどのように組み込んだかを示しています。この慣行は当時革新的であり、裕福な家族が神聖な作品に自分たちの存在を確実に残すことを可能にしました。